巻之24 (3) 薩摩の暮らしぶり 1少年の見た薩摩

 高崎侯の臣市川一学(儒臣、また軍学にたける)が、あるとき軍講のついでに、某(それがし)の幼少のときゆえありで、薩摩に居た。
11歳でこの地に還ったというので、かの国の事をかれこれ問うた。
その語った条々を以下に記す。

  薩摩国は一向宗が厳禁らしいが、今は然りかと問う。
答えるに、かの邦の士家は仏壇がない。
家の入り口の中の口という所を入ると向かいの上に神棚の様なつくりに塗板がある。
版に先祖の法名をならべ書いてある。
すなわち仏壇であり、祭事もここで礼拝するという。

 また総じて仏に向かい合掌はしない。
礼拝には両手をついていつもの礼をするごとく。
なぜなら合掌すると一向宗の嫌疑がかかるので、この様にするのだと。

 この俗は、客人が来るときは士も庶民もまず『塩気盆』と云うものを出す。
蓋物に香の物梅干などを入れ、貴人は氷砂糖などを入れる。
人が来ればこれを出す。

 茶を出すにも、客1人に各茶台1つ宛に茶碗をのせて出す。
土瓶も銘々に添えて出すと云う。

 さて客人が茶を飲むときに、主人は塩気盆の物を取って、客人に与えるとなる。
土瓶は足なきを上とすると云う。
これを『チヨカ』と云う。客家と書くよし。

 酒は泡盛を多く飲み、肉は獣が多い。

 士庶民の婦人の多くは、木綿服である。
帯はみな丸ぐけで、虚無僧の帯の様に太い。
また木綿の赤と萌黄で、ねじり縫にしたものもあると。
この時は今の老侯栄翁の家督の中だと云う。
この頃から栄翁の世話で京風にされ、やや華麗に移ったが、なお昔の余風は今に残っているとぞ。

 男子も9,10歳までは、振り袖を着て、すまだわけに髪を結う。
12,3になる頃、半元服をする。
これを半髪と云う。これで若衆姿になる。

 桜島は世に薩摩富士と云う。
その形は富士山と違わない。
鹿子嶋と垂水の間にあると云う。
薩侯の居城は城ではない。
館の造りである。
その大手は、前に自然の滝川がある。
その向かいは門、城門てはなく、いわゆる門造りである。

 後ろは山がありげに見えて高みである。
館の周り表に向う所は、いわゆる塀で石垣はない。
その余りはみな柵を構えて、矢狭間などもなしとなり。

 城下に琉球人の旅館がある。
琉球屋鋪と云う。
いつも来て居る。
球人は薩摩ことばを言うとのこと。
その普段着は袷(あわせ)のみにして、綿衣は着ない。
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