続篇 巻之七 〈一五〉 耶蘇継承の者

十月の初め、ある人と相会したときの話に、昨年か今年か、大阪に耶蘇の法を修むる者があり、遂に縛に就いたと。
わしは云った。耶蘇の法と云うものを如何にして知ったのか。
曰く。その女子が久しいこと病床にいる。医薬は功なく、祈祷は験(しるし)なし。殆ど死に及ぼうとしていた。父母は娘を深く愛していた。
時に町家に一人いた。
咒(まじない)法をよくすると。
これに就いていゆることが出来た。
この町人は、耶蘇継承の者で、病家に伝えて、信崇の徒を少しずつ倍にしたという。
わしは云った。秘承とはいかに。
答えるには。そのはじめを尋ねるのに、大阪落城の残徒が町家に隠れていてずっと伝えるところだと云う。
またその徒は少しずつ倍に増えていると云う
何者がかかるのかと聞くと、曰く。
大抵二三十人を超えただろう。その中男子は三四で余りはみな女子であると。
わしは云った。大禁を犯せば、定めて厳刑に処されるだろう。
答える。もちろん磔罪になるだろう。わしはまた云った。この徒磔罪に処するより固(もと)より、願う所にして、その宗の旨である。
答える。いかにもそうです。
某に語る者が云うには、吟味のときに奉行が云われる。
早々に改宗するように。
この非法は、御国禁を犯す罪は恐ろしいことだと叱ると、かの女子の答えに、それより死をもって神に仕える。
なんの非法刑罪をもって法を改めようとしても、なかなか畏怖の色がないという。
わしはまた問うた。奉ずる所の神はいかなる者か。
答える。全く異様の者ではなかった。
一つは世にいう於福(オカメ、三平二満)と云う娼婦の仮面に何か衣類を着せて、一つは老体の偶人(にんぎょう)であると。
吟味の人疑いはかの遇人の体を破りその中を視たが、内にも怪しい物はなかったと。
何をか主として念ずるのか。この外にも語ることはあるが、忘れた。
この話のもとはかの地の町奉行、この都に来た者が語ったと云う。
それならば虚妄のことにはあらじ。
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コメント

No title

キリスト教(耶蘇)もこんなだったんですね。当時が良くわかりました。

No title

木村 さん
実は存じ上げている末裔の方のご一族の(信仰の)お姿に頭が下がります。
今回の話は大阪の市井の人ですが、おかげ信仰もいれば、命をかけて貫いた一族もおられるのは仏教徒も同じですね。
明治になり信仰を認められると、世間のお手本にならなくてはと、一生懸命国に尽くされたキリシタンの方々もおられます。これも仏教徒、神道の方々も。

No title

確かにそうですね。この当時の幕府の人などの認識がやはり極刑などになって何故信仰するのかを理解できていなかったのでしょう。仙台などに行くとやはり隠れキリシタンも多いようでしたし、いろいろなところにその跡を感じてしまいました。長崎などもっとありそうですね。

No title

木村 さん
長崎の鐘の永井隆博士の奥様のみどりさんは潜伏キリシタンの末裔でした。永井隆さんの縁の地は、潜伏キリシタンの碑が立てられています。
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