巻之79 〔6〕 江都に登った蘭人の土産話

 丙戌(1766か1826とみられる)の春、蘭人が江都に来上のとき、参政水野壱州の宅に行智もよばれた。
そこで蘭人に逢い、その時の話をしてくれた。

  甲斐丹 ヨハンウィルヘルンデスデコルレル    52歳
  書記役 ヘンデレキヒェルケル          25歳
  医師  ヒイトルヒリップフランスハンシイボルト 24歳

  このコルレルは、身の丈が殊に高く、かの邦でも非常に高いとぞ。

 コルレルが云った。
かつて軍の旅で、衆士とともに流沙を渉ったことがあるという。
その間およそ40余日、沙漠(砂漠)の地を行くと、処によっては林木もあったが、すべては沙石のみだったと。

 夜宿の家も無い。
寝るべき道具を木の枝に網を懸けて、その中に臥すのだという。
これは熊が多いので、露地に宿することは不可能であるからだとのこと。

 夜半になると、人がいることを知って、熊どもは群でやって来て、木に登ろうとする。その時、鳥銃を放てば退くという。

 後は昼の出てきて路を遮ることもある。炮を打ち出すと、その火の光を見て、鷲もまた飛んできて、翔り舞う。

 人のいない所だと、これ等鳥獣の害を避けるのは困ると云っていた。

 流沙砂漠の話を親しく(距離感が近いや詳しくの意味も含まれると思う)聞くのも珍しかったと行智が云った。

 行智また曰く。
昔我が真如親王が、入唐渡天(唐に入り、インドに渡った)と思い立ったが、流沙の河で虎に喰われて失われたと云うことも、このような猛獣の多い堺なればこそで、さぞあったのだろうと思われるかと。
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