続篇 巻之82 〔1〕 姦曲吟味につき

 先ごろ志摩国の姦曲(心に悪だくみがある事)があり、かつ里民騒動に及んだ等聞いた。
この頃勢津の臣井野某はしばしばわしの荘に来るので、それについて質問しては、応じてくれたのでそれを記した。

 志州に波切(ナキリ)嶋と云って、家戸5~600であった。
ここに某称する豪富の者があった。
嶋中の人々は服従していた。
ある時官の廻米船が、かの沖で難船して濡米が出来たのを官船の長と姦謀して、廻米が全て濡米になったと称して、かの豪家が下直(げじき)に買い取った。
ところが江州信楽の御代官多羅尾靱負の支配所の庄屋某案内者として、多羅尾の役人等官米の糺として波切嶋に至った。

 この庄屋は元来公領所の権勢を借りて、時々ゆすり、人に迷惑をしていたので、この度もまたゆすろうと心得て、大勢の者が庄屋を打ち遂に死に至った。
この次第が公庁の耳に入り、江都の官吏が下向して、桑名領四日市で吟味があった。
囚人が多くいてかしこに呼び出された。
勢津の臣は正しくこれを観たと云った。

 この時籠(かご)で30人余、歩行20人ばかり、志州より指し出した。
そのころは殊に騒がしく、種々風説もあった。
総じて御代官ばかりより、御用と官吏輩他へ赴くときは、先ぶれがあった。
先方の有司も立会糺方あるべき作法が、先の庄屋は、先令も至る前にかの地へ到って糺方等したのは、これまでの欺慾の仕方なのか。

 またかねがねの不埒露見したのだろうか。
強いて穿鑿(せんさく)もなかった。
この穿鑿が強ければ、却って御代官の方の非文(道理にはずれたこと)に及ぶべきかの風評もあった。
それゆえか吟味も一通りで、囚人も連々返され、その中の3人江戸へ出たようだ。

 この卯年(1819、1831,1843、1855辺りか)2月頃のことの由。
   かの庄屋打ち殺された翌日、稲垣侯へ先ぶれ達したりとぞ。それゆゑ侯の不念
   にも成らざるかと風聞す。津侯(藤堂)へも、百姓多人のことゆゑ万一異変も 
   出来なば、速に人数を出し、火事羽織着すべしと達し有て、番頭一人組士以下三百
   人計の手当有り。伊州表も別段人数の手当有りしと。
勢津は南海の向いた所なので、異国船渡来の防設を専らとしていた。
平常は武器人数の手当があって、即刻にも出張の手配りのところだが、この度は外事のため、かの手配は用いず、迷惑に及んだと。

 また波切から、勢津へ海上10里許の所、日々魚買い往来をした。
同所のことも委ねる心得があれば、中々徒党などないと騒ぐことはないが、伊州は程遠いので、今も人数出張と、殊にもの騒がしくあった。

このとき桑名侯へも人数の令(フレ)があった。これは領内四日市で吟味あったことによる。
志州表の手当ではないと聞こえてくる。

 かの波切嶋は米穀無き所で、魚猟のみなると、かの難船等で不意の利があることを幸いとする里俗で、この度だけとは限らない。

 吾の留守、鳥羽の留守を聞くと、津侯人数手当のことは、鳥羽から申し立てることはなくて、官からの令である。
故に鳥羽へは官からその旨の御達しがあったと云う。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
890位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
131位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR