続篇 巻之22 〔15〕  朝鮮虎が九州へやって来た その1

この己丑(文政12,1829と思われる)正月、平戸からの文通で、平戸嶋田助浦に、対馬人が生きた虎を連れてきたのを、城の外門に呼び寄せてこれを見て、その図を画かせたと。  

図は写真を参照のこと。

かつこの虎の来歴を聞き書きする。
一、 文政9年戌の秋の頃、朝鮮国慶尚道かや山という山が、野焼きの火をあやまって、焼けてしまった。
すると乳虎子2匹をひきつれた親虎が、火を嫌ってくるったように廻っていた。
猟師等が4,5人で撃ちとめ、その子2匹を獲た。
かの国でも虎(ここに虎と云っても、図を見ると形状は全く豹である。説下に述べる)を生け捕りするのは珍しい故、対州へ告すると、町人等が買い取った。
上方、江戸筋へ所々で見世物に持ち廻りたくよし願うため、対州から公儀へ伺った。
すると先九州筋はくるしくなかろうと、去秋、筑州、肥州、長崎の辺りを持ち廻った。
それから、加州へ参る時、1匹のこは餌にあたって死んだとの故、対州へ立ち帰り、なおまた当月4日、対州へ出船、壱州勝本へしばらく滞留した。
去る11日、平戸田助浦へ着船。
これから小倉の辺りへ参るよう心当りのよし。
薩摩、大隅、日向筋はいまだ廻らず。
また伺い済み次第、上方筋へ参るよう申し入れ。

一、 豹の毛色に見えるが、飼い主がいうには虎だと言い張る。
また或は虎と豹の間なので、悪虎と云うものという
(この飼い主が言うことは、愚である。また虎豹の間に悪虎が存在すると云う。
諸書にはなく、俗説である)。
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