2021/09/30
三篇 巻之70 〔20〕 蛇女房―島原地震
わしはある日奇談を聞く。もしくは偽言か。云う。かつて肥州雲仙嶽が裂けて、島原の城から城下の市(マチ)が土でまみれたことがあった(わしはこの時は、在城していたが、城の後ろから地震が再々起きた。城塀も少し損じた。思うにこの頃の話かと)。
以前の事だが、かの城下に一医師がいた。貧しく妻がいなかった。
ある夜の事、病人がやって来た。
その足に傷を受けている。
「薬をください」と云った。医師はうなづいて薬を与えた。
10日余りで治った(わしは思う。この医師は、思うに外科だろう)。
その後病夫が再び来て、「君にお礼に差し上げるものがございません。願わくば某の女(むすめ)を差し上げますからお納めください」と云った。
医師は「幸に私には妻はないのでね。汝の気持ちを受け取ろう」。
その夫は帰り、夜半になって女を連れてきた。
医師が見ると、姿に色のある女である。
この女は妻になった。
一方医師はその病夫のさまを訝しく思った。
それであるとき密かに後をつけて行くと、4,5町の処で松の茂る中に入って、後は姿を見失ってしまった。
女は医師の家に居る1年で子を産んだ。男児だった。
この子を育てるに当って、妻は夫に云った。
「出かけて還って来る時、決して私の寝姿を御覧にならないで」。
夫は云われたことを守った。
だがある時、訝しく思えて、密かに様子を窺った。
すると大蛇が横たわり子に乳を与えていた。
夫は驚いたが、知らぬふりでいつもと変わらぬ暮らしを続けた。
妻はしきりに離縁を請うた。
ある日曰く。
「坊やを立派に育ててください。私がいなくなて、寂しがって泣くときは、これを与えて養って下さい」と云って5寸(約15㌢)ばかりの美しい珠を与え、出て行った。
跡はわからない。
医師は悲しみに沈んだが為す術がなかった。
この珠で妻の云う通りに児を養った。
ある時、嶋原侯がこの珠の話を聞き、「見せよ」と云ってきた。
侯は珠を欲しがったので、遂に献じた。
医師は児を養う由なく、海辺に行って妻を弔った。
それから病夫の姿を見失った松林の中から、妻が出て来て曰く。
「前の球を失うことを私は知っておりました。今また一つを上げますからこれで、坊やを育てて。けれどもまた侯がこの珠を欲しいと云われたら、すぐに坊やを抱いて遠くに逃げて下さい。ここに居たら必ず災難に遭いますぞ!」と云って姿を消した。
また話を聞いた侯に新しい珠を取り上げられてしまった。
医師は子を連れて里を去ることにした。
その夜、雲仙が裂けた。嶋原の城市は俄かに土の中に埋まった。
領主が得た2つの珠は土に埋まってしまった。
民は口々にこう云った。
「妻を連れてきた病夫も、また蛇の身が変じたのであろう。報恩の道を妨げられた仇を返したのだろう」。
この児は稍々(しばらくして)長じて、後に雲州に行った。
年15で父を失った。
それから出家して普門律師の弟子となった。
今は尾州の律院の主だと。
その僧は蛇母の性を得たのか、渇池に水を呼び、また雩法を行うと必ず験ありと云う。
天保庚子(11年、1840)の冬識す。
記し者が戯を言う。
竜子は雲州に住み、冬に尾の邦の院主と為った。
みな竜たる因縁か。呵々。
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