続篇 巻之86 〔7〕 近来十六調子

 人に口は閉ざし難きものと云うが、この頃小記を転伝しようと思う。
あるときわしに及ぶ。ここに記す。
   近来十六調子
     琴         篠山  (青山野州)
古く世に有といえども、その時々の治平に移り、組にも古は八橋、角山、生田、同じ歌なり。
節々を付けられても世に捨てられず。弥昔今の手振りをもみするなり。
あわれ、博雅の三位ありたし。
    三味線        沼津   (水野羽州)
土佐、外記、半田、義太夫、常磐津、富本、清元などその流々の今の世に用いられ、人の心を見あらわし、息子長女放埓のその節々の用いよう、今の世に行わるる諸音曲の中第一といわるるなり。
この故に所作事妙なるも、この手より外あるまじきか。
    琵琶         小田原  (大久保加州)
平家を語り始めし性仏は比叡山なりしかど、数百年の古事、そのままにして音律行わるるにあらねども、聞くに随い、古雅風流、今の欲深き人には聞き取り難し。
詩哥連誹に連なり、風月花雪に心を通わしむるものは、いつもいつも捨てがたきなるべし。
    幸若音曲       西尾   (松平泉州)
応仁文明の比、桃井直常の後胤幸若丸、比叡山に有りて初めて謡いはじめしなり。
その名は越前に残りて、北国に陰監を用いる。
鑑察職の命をふくみ、その後流また西国柳川に移りあれども、さして人その能をもしらず、その節々もさまでやんやと云いがたかるべし。世に名あるのみ。
    笙          浜田   (松平防州)
諸律呂の中にて、笙は一節の用いもなくに似たれども、外の音絶ゆるときは、一際立て耳に聞こえて、いかにも奥ゆかし。
されば常に世上に用いられて、雅興に専要なるべし。
今すこし好人多くなる時を待て、管弦、舞楽、奏楽等行わる時は耳立てぬべし。
   *上4つの音曲は、いずれも当時の三味線に押されて無きがごとくであった。
    横笛         懸川   (太田摂州)
浄瑠璃姫の故事、折節御曹司に、横笛には姫をはじめあまた女中心とけられし如く、都の手振吹ならさる時は、宮中御所々々の女房も目ざましく恋慕の心を起こせる風聞あり。
いかにも東男の名を起こされ、直衣冠の姿は相応すべきか。
落梅花の梅など、少しは風雅もあり。いかさまその名梅内にみつべし。 
   篳篥(ひちりき)   浜松   (水野越州)
管弦奏楽の中、いつもその音高く響きわたり、雅俗の耳に早くふるるといえども、却って而もかまびすしく、横笛の雅音に及び難し。されどもその品々しるもの、何となくさま有りげなり。
   楽太鼓        宮津   (松平伯州)
総て音曲の節、文武の緒人、管弦乱舞等の時なくて叶わぬ物なれども、その音拍子ものなれば、━外の音曲の具は一つ一つ吹き、またかきならすも興あれども、楽太鼓ばかりは、はなしてたたきては、雅俗ともに用いがたかるべし。
   羯鼓         吉田   (松平豆州)
楽員の中さして人も心つかず。
また面白みもあらざれども、諸律呂やみし跡に静かなるゆかしき音残りて、また珍しく人耳に留まること、世々の跡を続き捨てられぬなるべし。
   鼓弓         長嶋   (増山河州)
三味線に交わるときはその音ゆかしく立て、耳を清むることあり。
然れどもはなれ物になしては、何かわけ聞きことかたし。
音色と節と別けて、別にその哥とても有るべからず。 
   小鼓         飯田    (堀和州)
乱舞能は勿論、子供が下座にも三味線、琴、笛、外外音律よく叶い、人に用いられ、初音の鼓など世に名高く、太鼓より名高き物にて、すこしまされるなり。況や謡習うものには第一たのしみなるべし。
   大鼓         勝山    (小笠原相州)
音は遠く四方に響くといえども、手いたく敲(たた)かざれば、音もいでず。
無くても済む具なりといえども、御能外諸調子拍子並み連ぬるときはその席へ出るなり。
然れども人あまりもてはあやかず。至って而(しかも)損なる物なり。
   尺八         加納    (永井肥州)
普化禅師の跡を慕い、四民の内この音を楽むもの有りといえども、一体世捨て人の翫(もてあそ)ぶ具なれば、たまたま琴三味線にまじりて漸行わるるなり。
   太鼓         貝淵     (林肥州)
音曲の時なくては叶わぬ物なるべし。
人の心をよくも悪しくも致すに、その響き四方にきわだち聞こゆれば、三味線によくあい、京大坂などにては芸子、舞子共、三味線ひく時、客たるもの必ずこれを用ゆ。
いかなる茶屋にても並べ置くとなり。酒に酔い、ひとつ打ちても面白味あるべし。
況や三味線にかければ、妙音を発するなり。よきあい口に於いておや。
   鉦鼓         生実      (森川尚食)
祭のだしなどの時は、大たいこ小たいこその中によく摺(すり)ならし、手拍子にのりて面白味もあるなり。
然れどもこの具用ゆるもの、少なく用ゆる時は狂気の沙汰ともいわればなり。
今の世には祭の時の器なれば、平日さのみ用には立がたかるべし。
   筑紫琴        飯山       (本多豊州)
その名は世に名高く、今に残りありといえども、その歌の様、今時知れる人少なくして、有りか無しかも計り難し。
時ありてそそのかして用ゆるものあらば、生田、山田と共に世に行わるべけれども、先は人の耳なれぬように覚ゆれば、この頃の風俗なるべし。
本多もと豊後国の住人なれば、つくしに縁あるなり。
   この外の具も些(すこ)しずつは、ゆかりも有りかも計り難し云々。
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