続篇 巻之28 (6) 『ははこ草』

 また北村法眼が記した『ははこ草』と題した和文がある。借写してここに移す。

弥生21日巳の半過ぎる頃、神田川の方より火が出て、北風は烈しく吹き、南をさして飛び散った。
ひたすら燃え続けるほどに、その筋の家は、高く低く残りなく焼き失われ、西東に迷う人の呼び声が耳に入ってきた。
八町ぼりの辺りに住む者は御所の仕丁(労役)になるが、子二人と母は家に在って、父は物へ行っていたので、火は只燃えに燃えて来る。
為方なすすべなう、9つの子の手を取り、6つになる子を背負って、煙の中を迷っていた。
深川の頼り先を尋ねて行こうとすると、所々の橋が焼かれているので道が絶えてしまった。
さて、小川が1つある所に出た。
ここにも烟(けむり)が来て、後から火の手が来る。
またのがれる方もない。
こうして焼かれながら失せるのかと思うと、この子どもだけは助けねばと思うと、二人を前後ろにして川を渡ることも出来ぬ。
6つの我が子なので、9つの子は人の子を助けようとした。
よし、我が子はともかく、先この子を助けてこそと、心強く思い定めつつ、幼い(我が子が)泣き騒ぐのを置いて、9つの子を肩に負い、河(の泥に)ぬかるみながら膝越す水をたどりながら、かろうじて向いの岸にたどり着いた。
たどってきた後をかえり見ると、煙と共に燃え盛っている。
ともかく今は目指す深川の家に尋ねて行った。
主はこれを憐れと思うが、ここも(焼かれて)手助けできず、これで終わった。
火はなおここかしこ焼き払って、海辺に至って日が明けるころには鎮まった。
夜一夜嘆き明かした次の日の夕方 、1人の男が安否をたずねに来て、彼女に会って、自分はそこで捨てられた子を拾った者だと云う。
思いもかけぬ嬉しさに、母は只如何に、如何にと云うよりほかもなかった。
男は云う。われも昨日の火に遭って、近い所にあった調度や夜の物共に負い、かの川岸を伝ってくると、煙にむせびながら幼い子が雫の様に泣いて臥していたが、あたりに人もいない。
われさえもよそに逃げると、やがてこの河原の露と消えるだろう。
この子を見捨てないと心を起こして、負ってきた物をみな打ち捨てて、その子を助けて逃れ、心ざす方向に落ちたといえど、どうしたらよいのかわからない。
激しく泣き明かして、今日になってわずかにものを云うので、(聞くと)深川のおじとだけ聞こえる。
さあ、尋ねてみると、その里は広くて何が何だかわからない。
家毎に覗いてみようと思ってみたが探せなかった。
そうして、その子の母と確かめた。
わが方はしかじかの所の者と云った。
母は何度も何度も頭を下げて、お礼を云うにも、その人は返してきた。
行こうとするに、蛭の子の心地して、昨日の疲れに足が立たなかった。
ままよ、如何にして(母を)探そうか、と、人を雇うにも、中々人がつかまらない。
この騒がしい時だから。(自分としては)ただただ父母の中に参らせたいと思った。 
使いの者が帰って、どう言ったかと云うと、母はためらいながらも(我が子を置き去りにしたが)、(天に)助けられ、のがれる事が出来て終には我が子と再会して帰って来た。
そもそもこの女は、まま子を助けて我が子を捨てようと思いはかるのは、とても有り難く心清きことである。
すると吾子も天の力に依って人に助けられたと思うも嬉しい報いである。
助けた男の子は如何なる者になるだろうか、それも(先々)見てみたいものである。
この類の話は、やまと、もろこし、にもあるだろう。
けれどそれに例えるのはどうかとも言えないか。
只日頃の心の優れたことであったということではなかろうか。

   ふきとふく風のさきなる烟(けむり)にも
        迷わぬものは心なりけり
   摘わくるこころもかなしははこぐさ
        ふた葉の露の深さあささを
     これは人の伝えたままをやがて書き付けたが、
     ことの違いもありもやせん。 猶後にこそ問い
     明らかにしよう。
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